陶山神社と古賀峯一連合艦隊司令長官

有田町にある陶山神社。ここに有田町出身の古賀峯一連合艦隊司令長官の碑があります。開戦当初の山本五十六連合艦隊司令長官は、あまりにも有名ですが、山本五十六戦死後、次の連合艦隊司令長官が古賀峯一です。しかし、古賀峯一もおよそ1年後に海軍乙事件で殉職してしまいます。
海軍乙事件とは、太平洋戦争中の昭和19年3月31日、連合艦隊司令長官古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件。先の山本五十六長官搭乗機が撃墜された事件(1943年4月18日)を海軍甲事件と呼ぶことから、本件を乙事件と呼んでいます。
1944年2月のトラック島空襲の後、連合艦隊は新たな内南洋の拠点としてパラオを利用していましたが、3月に連合軍の大空襲を受けます。そのため、古賀ら司令部の要員は3月31日、ミンダナオ島のダバオへ二式大艇で移動を図りましたが、途中で低気圧に遭遇し、古賀が乗っていた一番機は行方不明となります。この事故で司令部要員7名を含む全搭乗員とともに古賀も殉職とされ、元帥府に列せられ元帥の称号が与えられます。古賀の殉職はすぐに国民には知らされず、同年の5月5日に発表されます。 一方、二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた福留繁参謀長以下の連合艦隊司令部要員3名(山本祐二作戦参謀、山形掌通信長)を含む9名は泳いで上陸したがゲリラの捕虜となり、新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍機を奪われます。ゲリラに対して警戒心を抱かなかった福留等は拘束時に抵抗や自決、機密書類の破棄もしなかった。そのため日本軍の作戦はアメリカ軍に筒抜けになっ
てしまいます。
こんな偉大な方が有田町の出身なのに、有田町にあるのはこの碑だけとは…。ちょっと寂しい気がしますね。
ちなみに古賀峯一は戦死ではなく、殉職のため靖国には祀られてません。
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